2019年 03月 18日
2年9ヶ月
ユニコーンの「大迷惑」(古いっ)を聞いてどう思うか、それは人それぞれ状況によりけりか。
家族からの手紙を見ながら、人目をはばからず車内で涙した京都駅21時発のサンダーバードから2年9ヵ月。
家族と一緒ではない異様な状態に少しずつ慣れていくうちに、徐々に1人が当たり前の日々が日常となっていく。
それは多分家族側も同じで、父親が居ない家、月に数日だけ滞在する日々、それが当たり前の日常となっていく。
人間、係わる人が少ないほうが楽に決まっている、それがとかく干渉しあう「親と子」なら尚更だろう。
これが単身赴任の一番の恐ろしさであり、一番の功罪だと思う。
自分はこの恐怖を人一倍感じていた。
なので自宅に手書きの掲示板を設けたり、家族新聞やピンポイントでの周知文等を作ってトイレに掲示したり、文明の利器(FaceTime)を積極的に使うなど、できるかぎりのことはやってきた。
また、2日以上の休みとなる場合や、何かの記念日等には可能な限り大阪に戻るように努めたつもりだ。
ただ、やはりそんなものでは圧倒的に失った時間は取り戻せない。
中学入学間もなかったサクラはこの春から高校生に、幼稚園に入ったばかりのケイは年長になる。
なので失ったものは大きい、一緒に居られたはずの時間は戻ってこない。
しかし、こうした暗いイメージの単身赴任も(当事者の家族との係わり方や家族状況によっても様々なシチュエーションがあると思うが)、「百害あって一利なし」というわけではなく、実はそれなりに良い面もあることは、単身赴任した誰もが感じるところであろう。
「あぁ、4月から単身赴任・・・・・俺はなんて不幸なんだ」
と思っている人がもしいれば、それは本人の気の持ちようと動き方でベクトルを上向きにすることは可能だと教えてあげたい。
事実、自分がそうだった。
金沢という風光明媚な土地柄や底抜けに優しくて勤勉なメンバーに囲まれていたのが良かったという点もあろうが、自分のこの2年9ヵ月は実に刺激的で、実に興味深く、そして健全で健康的で活気に満ち溢れたものであったと言える。それはこの私のしょーもない独りよがりなブログを見てもらえればよく分かるはずだ。
「DSさん、あんた北陸を満喫しすぎとちゃうかい?」ということである。
そりゃ、もう独りぼっちが確定したんだから、いつまでもクヨクヨしてたら勿体無い。徒歩20分圏内に兼六園・金沢城公園・21世紀美術館・片町歓楽街があり、車で20分で大海原、50分でスキー場、60分で日本3名山の白山、70分で能登島釣りパラダイスに行けちゃうんだから、家でジッとしてる理由がない。
私は「独り」が決まった瞬間から、この「独り」の時間を如何に有効に使いきっていこうかという思考が強く芽生えた。
今しかできないことをやっていこうと思えたのも、この思考のおかげなのだろう。
課長という仕事、コールセンタマネジメントというジャンル、そして職場の9割以上が女性という特異な環境での立ち振る舞い、クライアントとの付き合いなど、業務面ではほぼ全てが「初めて」の経験となった。
生活面では、「初めて」の単身赴任、独り暮らし、自炊など、ここでも初めてづくし。
趣味にいたっては初めて海釣りに時間を費やし、初めて魚を捌いた。昨年釣り上げたシロギスは推定600匹、水産加工場でバイトしているかのような捌きの連続であった。
また、初めてスキーに挑戦し、初めて2000m級の山に登り、初めて犀川と手取川を下り、初めての場所にたくさん行った。これは自分が軽自動車を所有していたことが極めて大きいが、私の欲張りな性格が功を奏したと思う。
結果として、単身赴任当初に駅前で入手した石川県のイラスト地図は「オレここ行ったぞ!シール」で埋め尽くされ、唯一石川県の最北端である珠洲市(すずし)のみが自分のトイレの地図上でノーシールで聳え立っている。部屋に水道すらない地獄の共同生活を過ごした1年目から、新築最新マンションに移り住むという経験も極めて印象深い。
そして、こんな私の金沢ライフを支えてくれたのは誰だったか。
やはり嫁さんとパンサーズの面々、そして会社の上司・同僚があってこそだと心から思う。
まず嫁さんは単身赴任の分割損による経費圧迫をもろに受けてバイトをしつつ、3人の子を優しく厳しく育ててくれた。
さくらは近畿大会を優勝し、全国大会、ジュニアオリンピックまで漕ぎ着けながらも、オール5の学業成績を残し、地域最難関の高校にみごと合格。
ダイボンは中学生として立派に成長したし、ケイは幼稚園の先生から一目置かれるほどに真面目に行事に取り組んだ。
これは単身赴任の父の背中を見せたというより、母の教育の賜物であったといえる。
帰郷したら私のこともあれやこれやと気を使い、文句1つ言うことなくいろんな世話を率先してやってくれた。
まさに単身赴任妻の鏡とも言える素晴らしい動きと気遣いで家族を影から支えてくれた。これには感謝しかない。
あと、北陸パンサーズの3人(コジータさん、ゴローちゃん、日高先生」にはいろいろと助けてもらった。
朝の4時に集合して晩20時に解散するなんて、他の誰とやったってしんどかったはずだが、これがゴローちゃんだと不思議としんどくない。
上司にも本当に恵まれた。
あんな気さくな支店長はいないし、自分のことをよく知ってくれている部長はありがたかったし、頼りになる直属上長(センタ長)は愛すべきキャラクターと迅速な判断力によりいろんな場面で助けてもらった。
同僚やメンバーにも本当に恵まれた。
北陸のメンバー全員が聞きしに勝る勤勉さと人の良さを兼ね備えており、何をやっても全力で応えてくれたし、嫌な顔一つせず頑張ってくれた。
初めて大阪人の悪さが浮き彫りになったというか、自分も含めてこの北陸の皆さんのよさは見習うべきだと心から思った。
3年居ると勝手に思い込んでいたので、残り3ヶ月のいろんな予定もあったのでびっくりしたが、とにかくこの「当たり前になってるけど異常な状況」である単身赴任が一旦解消されることは喜ぶべきことで、これに向けて尽力してくれたであろう上司や周りの人たちに感謝したい。
最後に、
「単身赴任、やってみてどうだった?」
と聞かれれば
「死ぬまでに1度はやったほうがいいと思うけど何度もやるべきものじゃないと思う」
と答えることにしよう。
単身赴任は「楽」だ。
妻は旦那のことを気にしなくていいから「楽」
子どもは父親に口やかましく言われることもなく「楽」
地獄の満員電車から一転、通勤は徒歩圏内で「楽」
通勤時間がないから朝はゆっくり寝られて「楽」
朝ゆっくりなので夜もゆっくりで「楽」
こんな一時的に「楽」を体感してしまうと、元に戻ったときに支障がでる。
なので何度もやるものじゃない、一度でいい。
4月からの担当は激務だろうけど、家族で一緒に過ごせる幸せを噛み締めながら、北陸でお世話になった人たちを思い出しながら、きっと前向きに仕事ができるに違いない。
また、失った3年を取り戻すべく、家族、特にケイとはトコトン付き合って、たくさんいろんな体験をさせてやろうと思う。毎週エリシオンの3列目を、取り外して、ケイと車中泊で楽しもう。
残り2週間の金沢ライフ。
更に充実させて、仕事も遊びもやりきって出て行こうと思う。
このブログの「DS金沢単身生活」もそろそろ最後の更新のときが近付いている。
長文、最後まで読んで頂きありがとうございました。
「こらむ」の新展開、楽しみにしています!
2年9ヵ月の単身赴任生活、本当にお疲れ様でした!
また大阪でご家族と一緒の時間を過ごせること、関係のない自分まで嬉しい気持ちになりました☆
個人的には超アクティブな金沢ライフブログも楽しく拝見させて頂いておりましたので、少し残念ですが(笑)
また、本来のDSこらむ始動を楽しみにしております!!
今日は娘の公立高校の合格発表の日とあれやこれやの引継ぎと部の管理者送別会とが重なってこんな時間の反応となりました。
遠く離れた金沢の家で娘の合格に涙し、会社の皆さんの思いに涙し、しこたまお酒飲んで感謝の意を伝えて帰ってきました。
3年弱の単身赴任生活は楽あり苦あり、山あり谷ありの濃厚な日々でした。会社生活19年の中でも極めて濃密な時間で時空が歪んだかのような錯覚に陥る期間でした。
大阪に戻ってまた頑張ります。いつもこんなブログを見ていただきありがとうございますー!
また会える日を楽しみにしております。